2017年06月11日

高校時代の友達とランチ

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今日は高校時代の友達と横浜でランチしてきたよ。

だいたい年に一度のペースで集まっていて、今回は一年と三か月ぶりくらいだったかな。残念ながら一人予定が合わずに会えなかったけれど、それでも毎年十人近くが集まるのは、なかなかすごいことだなと思う。

高校を卒業した後、私たちはそれぞれ思い思いの道に進んだ。しばらく海外で暮らした人もいればずっと日本に住んでいる人もいるし、早くに結婚した人もいればゆっくり目に結婚した人も。子供が大学生の人もいれば子供がやっと幼稚園という人もいるし、私のように子供がいない人も何人かいる。同じ職場で20年近く働いている人もいれば、数年ごとに職場を変える人もいる。一人ひとり色んな経験を経て大きく変わったのだろうけれど、なんというか、みんなに会うたびに思うのは、「人って基本的なところは何年経っても全然変わらないのね」ということ。それは例えば、性格とか、しゃべり方とか、ものの考え方とか。みんなもう四十代半ばなんだけど、話をしているとふと、17、18歳の頃のみんなを思い出しておかしくなってしまう。もちろんみんなには、高校時代の私が見える瞬間があるのだろう。「あんたホント変わらないねー(笑)」と言われない回はない。

それでも、「教科書忘れた見せてー!」とか、「帰りファミレスいこーよー」とかそんなレベルの言葉ばかりを交わしていた私たちが、今では「やばい老眼が始まった!」みたいな話もしてしまうようになり、はっと周囲を見渡してみれば、なるほどみんなの髪には白髪がまじり始め、顔には少しシワもできかかり、やっぱりそれだけ年を重ねたんだなあと実感する。「もうすっかり中年だねー」なんてゲラゲラ笑いつつ、心の中では「この歳までみんなよく生き延びたよね」と感心しながら、ここ数年間でこの世を去っていった同年代の友人や元同僚を思い出す。

みんなとのひと時は本当に楽しくて、どんなに忙しくても顔を出したいと思う。今日も行ってよかった。

来年もみんな元気に会えるかな。会えるといいな。

posted by まみ at 01:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

ハイコンテクストな文化にて。

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ドラマなんかで悪党が、「ちくしょー!覚えてろよー!」みたいな捨て台詞を残して走り去るシーンってあるじゃない?

あれってさ、本当に覚えてもらえてるのかなって気にならない?それに、そもそも一連の出来事の一体どのあたりを「覚えてろ」って言ってるのかなって疑問に思ったりしない?

日本はハイコンテクストな文化。つまり言葉で情報を共有することなく文脈を共有することができる文化であって、いわゆる「察する」文化だよね。だからもしかすると、「覚えてろよー」の一言で何を覚えるべきなのか、ドラマを観ている人は実はみんな察していて、分からないのは私だけかもしれない・・・。いやでもさ、ちゃんと何を覚えていてほしいのか言っておかないと「覚えてろよ」って言われたことだけを覚えてしまわない?後になって「そういえば、覚えてろって言われたけど・・・」みたいな会話になってしまわないかな(考えすぎ?)。

そうそう、もう一つ、誰に向かって「覚えてろよー」なのかな?っていうのも好奇心をくすぐられちゃう。だってドラマなんかの場合、そこに残されるのはたいてい被害者とヒーローじゃない?どっちに向かって「覚えてろよー」なのかなあ。両方?でも、両者それぞれその場で体験したことは全く異なるし、悪党との関わり方も異なるわけだよね。ってことは、やっぱり両方ってことはないよね(そんなことない?)。

まあでも、いくら情報が足りないからといって、せっかくの捨て台詞が「おまえ、俺がアレやコレやしたこと忘れんなよー!」みたいに必要な情報を過不足なく含んだ台詞になっちゃったらそれはそれで全くしまりがないし、もっと言うなら夕暮れ時に公園で「ばいばーい!」って別れの挨拶をしている小学生の言葉みたいに聞こえてしまうなあ。

うーん。ハイコンテクスト文化、難しいねえ。面白いケド。

ちなみに日英翻訳は、ハイコンテクスト文化の言語をローコンテクスト文化の言語に変換するという作業なので、お仕事中は原稿を見ながらだいたいここに書いたような感じで思考を巡らせながら一文一文訳出しておりますよ。いやー毎日大変だ(笑)。

posted by まみ at 21:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月04日

海は広いな大きいな

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幼いころからずっと海が好き。

楽しい思い出がたくさんある場所だし、悩み事があればだまってそれを聞いてくれる場所だし、ぶらりと散歩をしても楽しい場所だし。広く大きな海を見て、自分の存在の小ささを実感し始めたのは高校生の頃かなあ、と思う。

でも今は、その海でさえ小さく感じてしまう。それは「宇宙」のせい。

宇宙に関する研究がどんどん進んで私たちの知識も増えて、ハッブル望遠鏡から送られてきた写真を見ながら、「銀河きれい〜」みたいなことを言えてしまう時代になっちゃったもの(これとかすごいよ。一万以上の銀河が写ってる写真⇒数年前のハフポスト記事「ハッブル望遠鏡の『史上最高にカラフルな宇宙写真』)。

私たちが暮らすこの宇宙には、今分かっているだけでも10億以上の銀河があって、それぞれの銀河に10億以上の星が存在しているっていうよね。そう考えると宇宙の大きさに気が遠くなりそうだし、地球の小ささにも気が遠くなりそう。そして自分の存在の小ささが、もう言葉にできないレベル。毎日、「仕事だー」「家事だー」「風邪引いたー」「たまには両親に会いに行かなきゃー」とかアレコレいいながらセカセカとあわただしく暮らしているけれど、その全てが宇宙にしたらどうでもいいハナシ。海は実際とてつもなく広いんだけど、個人的にはもはや「海は広いな〜」っていってる場合じゃなくなってしまったわ〜。

でもまあ、こんだけ宇宙広いんだし、私の存在なんて宇宙からしたらどうしようもなく小さいんだし、だったら好きなように楽しく生きても、きっとバチはあたらないよね。ね?
posted by まみ at 01:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする