2016年11月26日

Agree to disagree

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先日夫と食事中にあれやこれやと話をしていて、またまた意見が真っ二つに割れた。

トランプ次期米大統領の話から、経済の話か何かになって、その流れで投資の話に。そして話題は「投資で超お金持ちになった人(ジョージ・ソロスみたいな)が一般人に投資を教える時、料金を取るべきか否か」へ。

夫は、無料であるべきだと主張する。投資ですでにさんざんお金持ちになっちゃって、しかもこれからもそれで稼げるんだから、知りたい人にはタダで教えてあげてよくない?と。

私は、すでにお金持ちになったとかこれからも稼げるとかは別にして、「教える時間と労力」については料金が発生するべき、という意見だ。私たちひとりひとり、与えられた時間つまり命は有限だから、タダで教えてあげるというのは、自分の命の一部を他人にあげてしまうことだと思う。そりゃあ、家族や友達同士で「ねーねーあれなんだっけ?教えてー?」みたいなのは全然いいけど、投資講座みたいに、知識やノウハウを体系立てて他人に提供するなら、それに対して差し出す命、つまり、時間と労力には対価が支払われるべきじゃないだろうかと考える。

さんざんお互いに質問して、意見を聞いて、意見を交換して、結局のところ

夫 「We can agree to disagree.」
私 「ま、平行線だよねこれ。」

ということになった。うん、そんなこともあるよ。っていうか、全く違う環境で育った2人の人間だもの。なんでもかんでも同意見、みたいな方がそもそもおかしいよね。だから、意見は違っていい。大事なのは、「分かってもらえない!」とプリプリしたり失望することではなく、互いの見解を理解した上で、「そうなんだ〜」と意見の相違を認め合うこと。ね。

そして、私より夫の方が、はるかに善人な気がする。

posted by まみ at 10:18| 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

来年も「アクションプランナー」

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来年もスケジュール帳は「アクションプランナー」にする予定だ(まだ買ってないけど)。正確には覚えてないけど、使い始めて3、4年は経つ気がする。初めて買った時に選んだカバーは全くヘタれる様子をみせず、色も気に入っていて(ちなみに赤)、毎年だいたいこの時期にリフィルだけを調達する。

アクションプランナーは1週間見開きバーチカル型のスケジュール帳で、6 am から11 pmまでが30分刻みになっている。ここまでのスペックなら似たようなスケジュール帳は世の中たぶん山ほどあるんだろうけれど、アクションプランナーは平日と週末に書き込みスペースの差がないことと、メモスペースの「少なさ」が気に入っている。

本屋や雑貨屋でスケジュール帳を見ると、平日に比べて週末の書き込みスペースが極端に少ないものが多い。太古の昔からたぶんこれから少なくとも1,000年くらいは、どの曜日も24時間であり続けると思うんだけど、なぜなのだ?もしかすると日本では週末だけ1日が短いという理解なのか、はたまた日本人は週末に予定を入れない民族だという理解なのか。謎すぎる。ちなみに私は週末に積極的に仕事をするタイプなので、平日も週末も同じように書き込めるスケジュール帳でないと、その瞬間に予選落ちだ。

メモスペースの「少なさ」も私には重要だ。「'多さ'の間違いじゃない?」と言われそうだが、「少なさ」で合っている。私たちの生活には、ある程度まとまった時間を要する「予定」とその他雑用的な、つまり、「やることリスト」として挙げておきたい個々の「用事」とが存在する。そして「やることリスト」を消化するのは至難の業だ、というのは誰もが実感していることだろう。では、それはなぜなのか?個人的には、「やることリストを時間軸上ではなく、その外のメモスペースに書いてしまうから」ではないかと思う。「やることリスト」をメモスペースに書いた瞬間に「余った時間でやろう、すき間時間でやろう」みたいな気持ちになる。でも、そんなに都合よく時間が余ることなんてまずない(よね)。だったらさ、リスト内容を「予定」としてスケジュールに組み込んでしまえば、消化率が上がるんじゃないかな?そんな風に考えて、私は意図的にメモスペースの少ない手帳を選んでいる。大げさすぎる表現だけど、「退路を断つ」的なことも、時には必要だ。で、今は「やることリスト」のない生活を送っている。

ちなみにアクションプランナーの使い方は、販売元による「時間管理講座」で学んだ。バーチカル手帳であればどの手帳にも応用できる使い方だと思うので、参考までにリンクはこちら ⇒http://www.actionplanner.jp/about/

(なんかアクションプランナーをほめちぎった感あるけど、私、関係者とかじゃないからね。)

翻訳の仕事は「単語数(または文字数)XXXXの、こういう内容の案件を、何月何日の何時までに仕上げてほしい」という感じで打診される。だから、予定を面でとらえて空き時間を可視化し、現実的に日々どの程度のボリュームをこなせるかを把握するのが、打診内容を検討する上で非常に重要だ。もちろん、普段から自分の処理スピードを把握できているのが前提なので、そこは忘れずにね。

さ、今週中には、来年用のリフィルを買おうかな。

posted by まみ at 12:38| フリーランス生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月20日

偽ニュースサイト事件、責任の所在は


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マケドニア共和国に住む十代の若者が米大統領選挙を題材にした偽ニュースサイト作成し、それがFacebookで膨大な回数シェアされた。Facebookが拡散を許したことが選挙結果に影響を及ぼした、と米Facebook社が追及されている。偽サイトは英語で書かれていたために、日本人ユーザーの間ではあまりシェアされなかったかもしれないけれど(どうだろね)、非常に興味深く、また重要なニュースだ(と思う)。日本のメディアでは例えばこんな風に事件が紹介されている。

ちなみにマケドニア共和国は、ここね↓

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偽ニュースサイトを作った若者はてっとり早くお金を稼ぐ手段(広告収入)としてこれを作ったわけで、もちろん一番罪が重い。でも今それはちょっとおいといて。

この偽ニュースサイトがものすごい勢いで拡散された責任は、果たしてどこにあるのか。先日食事中にこのニュースが話題になり、夫と私の意見は真っ二つに割れた。

夫は、偽ニュースサイトが拡散された責任は100%米Facebook社にあるという。世界で16億人以上(2016年4月28日時点。参照URL⇒ https://investor.fb.com/investor-news/default.aspx)が利用するサービスに、偽情報をはじくことができないアルゴリズムを採用しているからだ。ユーザーがシェアするしないの前に(とはいえFacebookはユーザーによる情報のシェアを目的に作られてるわけだけど)、不完全なフィルタリング機能でなんでもかんでもフィードに流してしまうのが悪いと。だから、米Facebook社はきちんと謝罪すべきだと主張する。なるほど。

私は、アルゴリズムを改善すべきという主張には同意する。その場合、その責任者が社会に対して事の経緯を説明し、謝罪すべきだろうと思う。ただ、私は、あからさまな嘘を鵜呑みにしてシェアしたユーザーにも重大な責任があると考えている。

大前提として、世の中にはガセネタが多い。Twitterの世界にもゴロゴロ転がっているし、そもそも偽ネタで勝負する虚構新聞やThe Onions(←アメリカ版虚構新聞的なサイト)なんてサイトもある。みんなが大好きなエイプリルフールだって、ガセと言えばガセだ。たまにガセネタや虚構新聞記事を「ここここんなことが行われてはいけない!」みたいなマジレスつけてリツイートする人いるけど、ほんとどうかと思う。結局こういう問題って、ソースを確認する手間ひまを惜しむから起こるわけだよね?もしかするとソース確認の重要性すら理解していないSNSユーザーだっているかもしれない(震)。そういう人たちが、センセーショナルな記事の見出しに「マジ?!」って思ったり、ありえなさそうな写真をチラと見て「面白すぎる!」って思ったりして、そのままリツイートしたりシェアしたりする。

ねえ、その情報、ちゃんとソース確認した?
ねえ、その写真、コラじゃないって確認した?

Facebook記事は人から人に拡散されていく。ふだん信頼している友人がシェアしたものなら、その内容も信じたい気持ちは分かる。でも、友人を信頼することと、ネタの真偽を疑うことは別であるべきだ。これが私の意見。それにそもそも、今回の偽ニュースサイトは、例えば「ローマ教皇、カトリック教徒によるヒラリーへの投票を禁止!」みたいな、どこをとってもツッコミどころしか見当たらないほどの明らかなガセだ(この記事の中央らへんに偽ニュースサイトの画面写真あり)。

社会はこの事件を、だれの責任と判断するだろうか。
これからの展開に注目したい。私はこの事件、SNSユーザーが「情報リテラシー」を学ぶ良い機会なんじゃないかな、と思っている(もちろん私も含めて、ね)。

posted by まみ at 18:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする